秋さんの机 2010.06.10 パソコンの思い出 戻る ←→ 進む パソコンを個人で購入したのは17年前(1993)で MS-DOS 5.0 時代の比較的早い時期 だった。私の為にいわば趣味拡大にと思い手にしたわけであったが、今思えば子供達 の将来の為に一番役に立ったのではないかと安堵している。 私の電子計算機(Computer)との出会いは、1973(S48)年で当時の日立 HITAC8450 で私 が programming したCOBOLが社内で始めて動いた時でした。当時のComputerはアセン ブラと称する機械語が主流であったが私は現場部門(治工具の設計・取得・製作・管 理等、工場の台所役)なのでもっと簡易な言語を使って管理のツールとして積極的に 活用しようと考えていた。そのEDP部門の研修・実習を終えて、職場に戻りGerald Nadler の Work Design を教科書にして、工具管理システム設計をして稟議OKまで 漕ぎ着けた。この時のComputerは、NECのSystem100 で CPU は何と 32KB 買取価格 で 40,000千円であった。この小さな Office Computer で現場・事務所・電算室とリ アルタイムで結び1年後は、狭山・寄居工場と電話回線で仕事をするようになった。 手書きの台帳は無くなり順調にシステム移管が終わり、その後10年間Computerとは 遠ざかっていた。 1980年代の終わり頃、パソコンで一太郎と接してローマ字変換で漢字が扱えるとゆう 驚きがあり、更に、Macでは表計算の EXCEL に出会い、これからの仕事はパソコンを 主体に仕事が進められていくだろうと実感した。1990年代になるとお馴染みのWindows が爆発的に広がり、一方 Inter Net の蜘蛛の巣が世界中に張り巡らされはじめ、EXCEL はWindows版が発売されこちらもOfficeのTool として事務・技術を問わず普及してい った。 2000年代は、Inter Net と携帯電話が成熟を迎え、企業の仕事の仕方もLAN回線で個人 PCが電話の一部やレポート・社内通知など、用紙の肩代わりをするようになってきた 私の子供の頃は、鉱石ラジオでかすかな音に耳を傾けていたのだが、将来これからの 子供や孫の代ではどの様に進歩して行くか心配である。恐竜は隕石の衝突で滅亡した と言われているが、人類の進歩は果たしてこのまま行くのであろうか? 将来のことを 言っても、鬼が笑うどころか、鬼のいない世の中になってしまうのだろう。 <現在、私のパソコンは四台目です>
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