秋さんの机 2010.06.16 山登りの記録 戻る ←→ 進む 記録を取れる様な山登りを始めたのは24年前(1986年)で43才を過ぎてからであっ た。当時は今のような中高年登山ブームと言われるような時代ではなく、山頂につい ても山の静寂がありオバタリアンの傍若無人の甲高い声での喧騒も無い、心休まる一 時を過ごすことが出来た。 下の棒グラフは、43才(1986年)から65才までに山に登った記録です。途中の54才はタ イ国に赴任で前後を含めて減少している。又、61才からはISO取得で仕事に集中し少な くなり、その後、母と父が他界し一時中止したままで未だに再開していない。合計162 座でその内、41%は単独行となっている。 内容的には自慢できる物ではなく、3000m以上/5座、2500m以上/9座、2000m以上/16座、 1500m以上/29座、1000m以上/43座、1000以下が 60座となっています。深田久弥の日本 百名山は、25座をクリアーしています。 <山登りの記録> ![]() 始めた当時は、家のローン・子供の学資とこちらに廻る小遣いが減ってきて、良い遊 びが無いかと物色していたら、投資費用として合羽・懐中電灯・コンパス・地図を準 備して、ランニングコストとしてはその時の食料と非常食が有ればハイキングが出来 るらしいとゆうことが判りました。 埼玉県坂戸市に住んでいましたので、手始めにそこから見える山々を征服して行きま した。次からはそれらの山頂から見えるめぼしい山を探してそこを目標にする、とゆ う具合に広めて行きました。最終的には、富士山・北穂高岳・仙丈岳・木曽駒ケ岳・白 馬岳に到達し、一方、登山装備も山頂でお弁当からコンロ・鍋を揃えて、お酒を燗し て、うどんを食べ、最後はコーヒーと親父登山を極めました。 又、山小屋に泊まっても満足できず、テント・寝袋を買い込んで13回Campをしまし たが寄る年には勝てず良いポーターにも恵まれずに60才を超えてからは日帰り登山 と相成りました。 下の写真は山形と秋田にまたがる鳥海山(2236m)に単独で登り中腹の1700m付近で、遠 くに日本海を望んだところです。眼下には象潟 (キサカタ) の田園地帯が見えます。今は 陸地となっていますが、かつて芭蕉が奥の細道で「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠 んで、松島は笑うが如し、象潟は憾むが如し(松島は陽気な美人、象潟は陰気な美人) と両者を比較して海だったことを書いてあるが、今は昔のことで、芭蕉46才(1689 年)であった 鳥海山中腹から日本海を望む ![]() 秋さんの机 2010.06.16 山登りの記録 戻る ←→ 進む |