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5年前の入院 2010.07.05 | ||||||||
庭師講座と家での実践、子供のつくば市への引越など毎日が忙しく、ブログ更新に
御無沙汰をしました。 先日、7月2日に筑波大学付属病院で6年目となる定期検査の予約をしてきました。 腎臓は脊柱の両側に左右一対ありますが、私のは左が無く右の一つだけで機能して います。 それは、2004.12.30 の夕方に、何の自覚症状もなく突然起こりました。 その頃、山形県米沢市で仕事をしていて年末年始の休暇のため、茨城にいる年老い た両親の元に帰郷し晩酌後の夕食を終え、近くにいる友人の所へおしゃべりにでも 行こうかなと思った矢先でした。 トイレに行って小便をしたら、何とワインレッド色した血尿が出てきました。ビッ クリして急いで近くの鬼怒医師会に急患診察の予約をして、両親には極秘にして、 家から歩いて行き見てもらいました。 しかしそこは泌尿器科が無く、境町の茨城西南医療センター病院を紹介していただ き、翌日雪の中を出かけました。 大晦日なので検査技師がいないので、簡単なエコーと止血剤をいただき、年が明け ての 2005.01.04 に再度の診察をお願いしました。血尿は止血剤の効果があり翌日 は平常に戻っていました。 正月三ヶ日を憂鬱に過ごし、その日は妻と長女が埼玉から病院に駆け付けてきて、 CT検査後の眞鍋文雄先生の診断では癌に間違いないとの一言でした。 どうすればよいかをお聞きしたら、未だ初期の段階なので摘出すれば大丈夫との ことでしたので、埼玉の自宅近くで入院したく紹介状をいただきました。 診察が終わり正午を過ぎていたので蕎麦でも食べて帰ろうと二人に言うと、 私が深刻な顔をしていないのを見て驚いていました 翌日、埼玉に戻りその日の内に埼玉医科大学病院に行き塚本拓司先生から診察を受 けました。同時に会社に内容を話し手術が終わり仕事が出来るまで休暇の連絡を しました。 2月22/23日の入院・手術までに8回の通院をして入院の3週間前は毎週自己血液の 輸血用に400ccを3回採血をしましたが最後の時はややふらついていました。 又この間に、父の白内障手術があり2回筑波病院まで宿泊看病の為に茨城/埼玉を 往復しました。 家にいる時はネットで闘病日記・退院後の状態・腎細胞癌などを調べていましたが、 私のように初期(T1b・大きさ4~5cm)状態では特に問題はなさそうです。 しかし、腎臓癌は初期の頃は全く自覚症状が無く、かなり進行してから血尿、腹痛、 それに腹部腫瘤が現れるらしいですが、私の場合は初期なのに血尿が出たのは不幸中 の幸いだったと思います。それまでは、高校卒業以来、体重もほとんど変わらず、 会社の健康診断・血液検査も全項目標準以内に収まっていました。 2月23日手術をし翌月11日に退院しました。私の場合、現代の内視鏡を使用しての 体への負担をかけない方法ではなく、切開を選択したのでやや退院が遅れました。 手術室へはいる前に子供にお願いをしました。 それが下の写真で、摘出した腎臓を家族に見せると思いその時写真を撮るように 言っておきました。後日の検査で、腫瘍細胞のタイプ は淡明細胞型 clear cell type もっとも多いタイプで、淡明で豊富な胞体をもつ腫瘍細胞が胞巣状に配列 する・・・・・でした。 その後は、薬も一切飲まず、2年まで3ヶ月に1回、5年までは半年に1回、10年まで は年1回の通院・検査で現在まで特に問題有りません。 ![]() 摘出した腎臓に変わります
秋山 さん、 早いもので左腎臓を摘出されほぼ5年半が経った由で。術後経過も良かったようで 何よりです。 当方の大学同期も3人がそれぞれ食道や胃や大腸をいずれも癌で 02年から04年にかけて摘出しましたが、3人とも5年間の経過観察は 良好で今もピンピンしています。 最近の医術の進歩は目覚しいものがあり、いずれ癌も結核同様過去の病になって 行くのではないかと思います。 インシャアラー。 当方は最近突発性難聴と診断され病院通いが続いていますが、左だけで右は正常な ので普段の生活には余り支障がない状態です。かみさんによれば当人に都合の悪い 事だけ聞こえないのでしょうと皮肉を言われています。 先ずは腎摘出ブログのお礼迄。 ビキニスタイルの日(’46)
秋山さんと海中同期各位へ 梅雨明けと同時の来た酷暑の毎日ですが、いかがお過ごしですか。 こんな時に、早朝や夕方に聴くヒグラシ蝉のカナカナという哀愁に満ちた 涼しげな鳴き声を聴くと、腹の底までしみわたるようで一服の清涼剤となり、 安らぎを覚えます。 かなり重い7/5のガン摘出と明るい7/12ファミリィーバーベキューパー ティの秋山さんのブログを拝見して思いました。まず、“サイエンス心が一杯” とでも言うのでしょうか、秋山さんが常に冷静なしかも精緻な記録を残している ことに、敬服します。 秋山さんが書いているように、まだ早期の段階で運良く症状が出てくれたことが すべてだ、ということでしょう。ほんとうに良かったですよ。どんなにガン治療が 進んだと言えども、体内に深くがんが進行したら、もうガン細胞が体内に回ってし まい、どこにガンが発生してくるか分からない状態となり施すすべも無い、のが実 情だと思います。 その点、秋山さんは実に運が良かったと思いますし、それで今、楽しいホームパ ーティを迎えることが出来た、とも言えるでしょう。これからも大事にしてくださ い。 私の会社の先輩・同僚でもある人は、2年前に大腸ガンになり、まだ初期の段階 だからということで愛知県の病院で、今流行の腹腔鏡手術を受け、うまく行ったと 医師から聴いて喜んでいたら、後日、何とそれが肝臓に転移していることが分かり 、抗がん剤治療などを続けて来ましたが、ガンがだんだん増殖して来て止まらず、 その病院では手に負えなくなり、今は、愛知県の豊川から、肝臓外科の世界的権威 である幕内雅敏DRが院長を務める東京渋谷の日赤医療センターまで通院して、8 時間にも及ぶ手術を受けながら命をつないでおります。 とにかく、ガンを手術して取り去っても次から次へと現れてくるのです。 今までに、3ヶ月に一度のおなじ手術を2回受けていますし、これからもいつどこ にガンが現れるか全く分からない状態です。 本人は実に不安なつらい毎日を送っているに違いないのですが、それを私には余 計な心配掛けない様に気を遣っているものの、常に病状を詳しく私のところに送信 してくるので、私もその同僚の相談相手的な立場なのですが、何をしてやることも 出来ないし、また何と言って励まして良いものか、頑張れ!とも言えず、なかなか 難しく実に戸惑います。 この5/27には、私がボランティアをやっている奈良平城京跡会場まで、奥さ んと二人でわざわざ訪ねて来てくれたのですが、私に出来ることは、奥さんと一緒 に、当人の話をただじっくりと聴いてやるだけでした。後は、ただ再発しないこと を願うばかりです。 秋山さんは身体を切り開いての手術で大変でしたが、この同僚のように、腹腔鏡 のような実際の目ですべて患部を確認しない手術では、取り残しのような過ちもか なりあり得るので、かえって良かったのではないか、と思いましたし、いかに優れ た医師にめぐり会うかが、大事なことです。 今、がんにかかる人は2人の1人、ガンで死ぬ人は3人に1人と言われています。 私も最近知ったのですが、人間の有する60兆もの細胞から、私達は毎日たくさん のガン細胞が発生しており、それを免疫力がディフェンスしてくれているのでガン にならずの済んでいる。ところが、それが高齢化と共にその免疫力が衰えてくるの でガンになってしまう人がどんどん増え来ている、とのことでありました。 この解説から、どうも体内にガン細胞が発生することは避けられないようなので 、それをやっつけてくれる免疫力にすべて頼る以外にその手段は無いようです。 その意味でも、私達のシルバーライフは、ストレスをためて免疫力を落とすよう な生活は一番避けなければいけないと思うし、さらにポジティブに、いかに楽しい 毎日を送って免疫力高めるか、が極めて大事なことと思いました。 それでは皆さん、“健康はすべてに優先する”をモットーに、お互いに健康管理 を忘れず、いつまでも元気で楽しく毎日を過ごしたいものです。 それに最後になりましたが、Aさん、上野のデジカメ写真ありがとうございます 。東京でも上野と聴くと、石川啄木ではありませんが、水海道への思いが馳せ親し みを感じてしまいます。それが今は、秋葉原に移ってしまっているでしょうが ・・・・ 酷暑の真夏でも、早朝Walkingなどで汗を流してチャレンジして下さい。 私は、今朝6時頃から、隣の明日香村を1時間歩いて来ました。
気温35℃を超えた奈良橿原から
******** 下記のデジカメ写真は、そのWalking Courceです ******** 奈良と大阪境にある左が金剛山(125m)右が葛城山(950m) 壁画が撤去され整備された高松塚古墳 現在高松塚古墳の壁画を修復している修復館 欽明天皇陵 | ||||||||
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