2022/01/01
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伊藤新道の思い出  2022.02.01
 伊藤新道は北アルプスの登山道で、大町市を流れる高瀬川の上流「湯俣」から 湯俣川・赤沢を登り「三俣山荘」に至る標高差1150m・8時間の行程です。
伊藤正一氏(1923~2016)により1956年開設されましたが、 高瀬ダム完成後、地下水などの影響から5つの吊橋崩壊があり 1983年以降は通行不可能となりました。

64年前(当時高校1年)の記憶を呼び寄せたのは、次の2つに依ります。
 1、森村誠一の随筆「人生の究極」の中に伊藤正一氏
   との出会いがあり伊藤新道を題材にした「虚無の
   道標」を読んだ時。
 2、新春のBS-1 6日の再放送「黒部の山賊」北アルプ
   ス秘境の山小屋に生きる三俣&雲の平開拓者を継ぐ
   兄弟が逆境に挑んだを見た時。

 当時の記録は無く、あるのは白黒フィルムを借り、引伸機を借り 自らプリントした写真が残っていたので、それを見ながら記憶を辿ってゆく。

  登山パーティーは、大人4名と高校生3名 計7名
  *秋山さん(私の本家)、山口先生(中学の先生)
  *北村さん(北村本屋)、村田さん(高校保健婦)
  (同級生)*鈴木孝八郎、*高野恵行、秋山節夫
  *印 故人

  行程は、五泊六日で全日快晴で、昭和33(1958)年のお盆前だった。
1日目 新宿から正午頃、列車で信濃大町へ、駅舎にごろ寝する
2日目 駅よりタクシーで七倉へ、登山開始・高瀬川上流の湯俣でテント泊
3日目 湯俣より伊藤新道を、三俣山荘付近でテント泊
4日目 三俣から、双六小屋・硫黄乗越・西鎌尾根を経て槍ヶ岳山荘泊
5日目 槍ヶ岳山荘より、槍沢の雪渓を下り上高地にテント泊
6日目 釜トンネルを出た中の湯温泉で汗を流し、島々・松本より帰宅
  詳しい記憶は写真を見ながら書き留めていきます。


  **2日目(登山開始)**

七倉でタクシーを降り、葛温泉の近くの「山の神」に安全をお願いする。 写真の下、一直線の棒は工事用の線路の片側で、高瀬川に沿って湯俣の手前まで 続いていた。平らなので歩くのは楽ちんこの上なし。



高瀬川発電所の近くだと思うが、登山者への注意書きがあった。



現在の国土地理院の地図を見ると、大町ダム(龍神湖)・七倉ダム・高瀬ダムがあるが 当時は何もなかった。高瀬川に沿っていくつかの発電所があったらしいが 今は、ダムが出来て地下に潜っている。下の写真3枚は、多分今はダム底に 沈んでいる場所であろう。







河原に降りて休憩をする。川の水を見るとどこまでも青かった。



湯俣の河原ににテント 2張を設置する。この谷間は温泉が湧いていて テントの下は現在の床暖房そのものだった。今は晴嵐荘があるが その頃は東電小屋があり、私の父が東電だったので皆にご挨拶に 行って来たらと言われたので困惑してたのを思い出す。



登山道路のすぐ隣に露天風呂があり、温度調整は川の水を加減する。 同級生3人で、極楽極楽。



  **3日目**

今日一日かけて伊藤新道を行く。私たち3人は只々、大人達の後を 付いて行くだけで、五万分の1地図やルートについては記憶がない。 今、改めて地図を見ると半分以上が湯俣川の河原で、赤沢を超えてから 尾根道の急登がありカブリ岩を過ぎるとなだらかになるのがわかる。 湯俣川には5つの吊橋跡が残っているが、吊橋を渡った記憶がない。 記憶では、川を渡るには丸太が3~4本渡されていて友達の一人が泳 げないので顔色を青くして緊張そのものだったのを思い出す。



河原で昼食をとり食後の休憩で記念写真。今みたいにデジタル写真で バチバチと何枚も撮れないので、皆で記念写真が多かった。



湯俣川から赤沢を渡り尾根道に始まる手前と推測。 ここまでくると高度も上がり、谷底から解放されたのが分かる。



展望台の手前の急登。谷底の岩だらけから立木が現れる。



視界が開けた。下に見える谷を通過してきた(高度2000m?)。



次の2枚は展望台(高度2116m)に到着。手前の硫黄岳、赤岳を前景として 槍ヶ岳が見えるはずが、手前しか見えない。

伊藤新道は三俣山荘~湯俣川との出合いまで全線を伊藤正一氏のご子息、 伊藤圭氏が再開通を目指している。 今現在、この展望台から三俣山荘までは、往復4時間ほどの散策コース として整備されている。

   三俣山荘のホームページです(https://kumonodaira.net)。






展望台を過ぎて鷲羽岳の山腹を進行中に槍ヶ岳が顔を出す。



  **4日目**

三俣山荘付近にテント泊して、今回のメインテーマ西鎌尾根から 槍ヶ岳へ。出発前の鷲羽岳稜線を背景に気合を入れてパチリ。 雲の平往復は中止となった。



双六小屋と双六岳。多分ここまで巻道を通ったと記憶しているが、 這松がきれいだった。ここでガイドを雇い山荘まで案内を依頼する。 ここからの印象はほとんどなく、霧の中を夢中で歩いた気がする。 一つだけ、これが小槍だ・孫槍だの声だけで、山荘についたら 人がいっぱいだった。



  **5日目**

槍ヶ岳山荘に泊まる。人が多く食堂や廊下にごろ寝の状態。 とにかく寒い。皆の顔が寒さをこらえているのが分かる。



山荘前からご来光を仰ぐ。槍ヶ岳の山頂までは数珠つなぎの 混雑が見える。私たちは登頂を割愛する。



槍ヶ岳の山頂を振り返る。



槍沢の雪渓を下りる。グリセードではなく尻セード。



  **6日目**

昨日は上高地にテント泊し、島々・松本から帰郷する前に全員で 釜トンネルを出た「中の湯温泉」で汗を流す。



伊藤新道の思い出を写真を見ながら記憶を呼び出してみた。 半数以上が鬼籍に入り、残りの二人は何処にいるか分からない。 今年、私は80歳になるが、あの世に行ったら皆と一献傾けて 尽きない話をしてみたい、と感じた次第です。

夢をもう一度とアルプス登山も難しく、せめて地図を眺め頭の中で 登山道路をなぞりながら、風景や高山植物を想像しながら空想登山を 試みるべく残された人生を謳歌してゆこう。

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