フランス旅行 1日目 2011.09.29(木)
先月の29日から7日間、フランス旅行をしてきたので、ご報告します。
ツアー名は、エールフランス航空往復便で行く「パリから世界遺産を訪ねて」
です。7日間と言っても、往路に1日、復路に2日かかるので、実際の観光は
正味4日間です。
今から38年前に、定年画家と自ら称した父が約30日間の南欧州スケッチ
旅行に出かけていたのを思い出しました。
パリに着いた時の、父の感激と気力に満ちた「詩」と「スケッチ 3枚」を
下記にとどめます。
『フランスを讃える詩』
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し・・・・・
大正の詩人 萩原朔太郎はこう謳った
しかれども昭和の吾は
遂に来たりフランスに
少年の日より夢に見しフランス、
そしてパリに
あゝ、はるけくも来つるものかな
さは さりながら
フランスは、パリの街は
よどみも空の下で憂い多きかな
ボードレールがうたい、
ユトリロが愛し、
モヂリアニが描き、
佐伯が死をとした街
されば吾もまた、この街に挑まんかな
吾は吾なりのパリの街を
キャンバスの奥に定着させんかな
我が愛する街、パリ
こよなく美はし。
1973.8.7. 秋山桑人 パリにて(59歳)
パリの街並み(鉛筆画)
ノートルダムよりエッフェル塔(油絵10号)
ノートルダム(パステル画).....2019年4月15日焼失
フランス旅行 2日目 2011.09.30(金)
昨日は、日本を正午に離陸して、パリに夕方の5時(現地時間)
に到着です。サマータイム中の時差マイナス7時間を考慮して、
所要時間は12時間となります。
宿泊はパリの郊外、ノボテルホテルEASTで、そこから朝 8:30 バスにて出発です。
今日の予定は、南西に 89km 離れたシャルトル大聖堂を見学して、
更に西方向に 342km 移動し、イギリス海峡にあるモン・サン・ミッシェル
修道院の近くに宿泊します。
シャルトル大聖堂は、空を突き刺すようにそびえる2本の尖塔を持ち、
向かって右の簡素な外観で低い方がロマネスク様式で、左の突起状の
装飾のある高い方がゴシック様式で、新旧二つの文化で造られている。
最も有名なのは、ステンドグラスで中にはいるとバラ窓(大きな円形の窓)
や色々な絵物語を持つ青を主体としたステンドグラスが聖堂の壁一面に
並んでいる。
一つの窓を下の絵柄から上に辿っていくと、文字が読めなくても、
キリストの教えが自然と頭に入るようになっている。光線の加減で色々に
見えるそうで、幸い今日のお天気は一面の青空で、光線としては申し分ない。
シャルトル駅の近くで昼食を取り、再びバスに戻りモン・サン・ミッシェル
へと2番目の世界遺産に移動する。
早く着いたので、車が行き交う道路から、夕日を受けたモン・サン・ミッシェルを
見に行きました。今日の宿泊は、ペンション風のホテルで、夕食もビストロ風
(Bistrot=家庭料理)の魚料理をいただく。
シャルトル聖堂
外から見たバラ窓
床に描かれた迷路
修復完了の一角
直径は3階建の高さ
モン・サン・ミッシェル
フランス旅行 3日目 2011.10.01(土)
今日はモン・サン・ミッシェルに開門と同時に入場し、正午まで見学。
午後は 197km バスに乗り港町のオンフルールを見学。そこから同じ距離
195km を走り、パリに戻り3連泊します。
8世紀の始めに、海に浮かぶ小島に修道院が築かれて以来、増改築を
繰り返し、要塞の役目を果たしたり、或いは牢獄となったりして、
現在は観光地として、1979年世界文化遺産として登録された
この付近一帯は、潮の干満の差が激しく、島全体が水に囲まれ、このため
修道院を訪れようとした多くの巡礼者が命を落としている。今は車が行き
交う堤防が出来たが、生態系を壊す為に、道路を橋にしたり、シャトルバス
を利用する計画がある。
次に見学したオンフルールは世界遺産ではないが、フランス人の観光客が
多い所だ。静かな港町で、印象派の画家に愛され、船大工が造った、
珍しい木造建築の教会がある。
午後7時にパリに到着し、リヨン駅の「メルキュール・ガール・ド・リヨン」
ホテルに宿泊する。夕食は駅内の豪華なレストランで食事する。
昨日も今日も100年ぶりの30度の暑さで、現地の服装は半袖やノー・
スリーブばかり。寒いというので、持ってきた衣類は、上着も下着も長袖
ばかり。 とにかく 暑い! 暑い!
門前街並み
開門を待つ
満潮で駐車場が水没
海面に映った影
頂上西側のテラス と 教会礼拝堂の天井
最上階の回廊 と 先端ミカエル像
オンフルール港
珍しい木造教会
リヨン駅構内
2階のレストラン
フランス旅行 4日目 2011.10.02(日)
パリの観光が二日続きます。今日は、南東方向のフォンテーヌブロー城と
南西にあるベルサイユ宮殿の二つの世界遺産を見て、夕方パリ中心部で
解散です。ホテルにはバスか地下鉄かタクシーで各自帰ることになります。
フォンテーヌブロー城は、12世紀から18世紀末の建築様式がパノラマ式に
見ることが出来る。次のベルサイユの豪華さ程ではないが、日本建築から
見れば、完全におとぎ話の世界だ。
ベルサイユ宮殿は世界一豪華な宮殿と称され、太陽王・ルイ14世が建設する。
その名の通り、金銀宝石を、床から天井まで敷き詰めてある。庭園は広すぎて
眺めただけでした。
今日は日曜日なのでパリに帰る道が比較的すいていたので、明日予定の車窓
見学をしてしまう。エッフェル塔は、士官学校側から眺めたが、東京タワーや
スカイツリーに比べ優雅な雰囲気が漂っていた。
オペラ大通りにある日本人相手の「マイバス社」の前で解散し、日本で予約
していたディナー付きクルージングに乗る為、セーヌ川のアルマ橋下の船着き場
まで散策しながら歩く。
バイオリン(ピアノ伴奏付き)の生演奏を聴きながら、夜の街並みやライト
アップされたエッフェル塔を見て、帰路はシャンゼリゼ通りまで歩き、地下鉄
1号線でリヨン駅に帰ってきた。
フォンテーヌブロー城
ナポレオンが座った
ベルサイユ門
宮殿裏の庭園
鏡の間
大壁画
(左) 士官学校側から眺めた (右) 夜のクルージングから
フランス旅行 5日目 2011.10.03(月)
午前中はルーブル美術館に行き芸術観賞、お昼頃解散し、あとは自由行動
となります。昨日に引き続き、日本人のガイドからワイヤレスイヤホンを
通じて説明を聞きます。
父は画家でしたが、私は描くのも観るのも苦手で、ガイドの丁寧な説明を
聞いている時は良く理解しているのですが、次の絵に行くと前の話は
忘れています。
有名な展示は、酷く混んでいて、一番前で見るのは相当な気力と体力が必要です。
とにかく広く、人が多いのでガイドさんを見失なわないように着いて行きます。
館内の食堂で昼食を取り、買い物店があるマドレーヌ広場に向かって
サントノレ通りを歩いて行きます。途中、ヴァンドーム広場に立ち寄り、
ショッピングの後は、地下鉄で親切な人に14番線の Olympiades 行きを
教えて貰い早々にホテルに引き返しました。
ホテル近くのスーパーで買い物をし、部屋でビールを飲みながら、パックに
入った奇妙な味のするお寿司と持参したフリーズドライのみそ汁で
夕食としました。
ルーブル美術館 ガラスのピラミッド
ごった返しのモナリザ像
同じような混雑、ミロのヴィーナス
ヴァンドーム広場
地下鉄の切符
フランス旅行 6日目 2011.10.04(火)
帰国の日になってしまいました。
朝 9:30 ホテルをバスで出発し、来た時と同様シャルル・ド・ゴール空港
(CDG)に向かいます。高速上りは通勤渋滞でしたが空港への下りはすいていて、
途中のサッカー場を横に見て時間通りに着く。
ツアー会社から ETKT(Electric Tickting) 略して 「eチケット」の旅行
計画書(Passenger Itinerary Receipt)を成田で渡され係りの人が搭乗券
発行端末でInputして搭乗券を受け取りましたが、今度は自分でせねばなりません。
幸い、最初のディスプレイ画面の選択に日本語ヴァージョンがあり、
表示は解るのですが、どの項目を入れればよいか迷いましたが、 ETKT 番号を
入れたらOKとなり搭乗券が出てきて、搭乗手続き→身体検査→入国審査→
搭乗口へと進みホットしました。
搭乗手続きの時、荷物の重量制限が 23kg 以下の所 25kg が手元に表示され
ていて、ヒヤヒヤしていましたが、もう片方の荷物が 7kg と軽かったせいか、
ニコニコ顔で検査をパスしてくれました。
来た時と同様、機体はエアーバス A380 530名 定員で安定したフライトでした。
リヨン駅の建物(右側にホテルの玄関)
ホテルの入口で
高速道路からワ-ルドカップの会場
フランス旅行 7日目 2011.10.05(水)
帰路は無給油で機中にて1泊、成田に翌日の朝早く 8:30 頃着陸する。
フランスは暑い日が続いたが、こちらは気温16℃の秋雨が本降りと
なっていた。
自宅には 11:30 昼前に着き、ペットホテルからしっぽがちぎれんばかりの
「ソナ」を連れ戻し、久しぶりの日本食を味わった。
これで、8日にわたる旅行報告を終わります。
(参考) 全日程の歩行数
日付 |
9/29 |
9/30 |
10/1 |
10/2 |
10/3 |
10/4 |
10/5 |
歩数 |
4,845 |
8,872 |
10,735 |
18,622 |
12,068 |
3,573 |
3,114 |
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