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秩父巡礼 1回目   橋場バス停 → 粥仁田峠・1・2・3・4・5番札所 → 横瀬駅    2013.03.04(月)
24年前の 1989.12.03 旧定峰峠から巡礼七寺を廻り、秩父夜祭りを見に行った。 その時は、34ヶ所を全部歩いて結願しようと思っていたが、そのままとなっていた。

茨城に来て、アプローチが長くなったが、札所めぐりを決心する。 番号順に巡礼するガイドをネットで探し 「秩父観光なび」 --> 散策・ハイキング --> 江戸巡礼古道とたどり着き、 これを参考に歩く事にする。

 「江戸巡礼古道」 秩父観光なび  http://navi.city.chichibu.lg.jp/p_walk/561/


昭文堂発行の「山と高原地図」の No22 「奥武蔵・秩父」 は 1/50000 なので、 更に詳しい 1/25000 地形図 2面(秩父・皆野 / 3色刷 @270円)を筑波の 国土地理院にて入手し、これから行く江戸巡礼古道を机上トレースする。

本尊の観音像は通常は秘仏として厨子内に納められて、12年に一度の ”午年”総開帳が来年行われるが、(私の干支でもあるが)それを待たずに 行く事にした。

西国33ヶ所、坂東33ヶ所、秩父34ヶ所、併せて日本100観音といい、 結願寺は秩父34番の水潜寺である。この他に有名な 「四国88ヶ所」、 「熊野古道」 があるが、四国は年間10~20万人のお遍路さん人口と 言われているけれども、徒歩巡礼は、わずかの1% (1000~2000人) との事、大分少ない。

体力・気力・金力 があれば、次の目標にしたいが、全行程、秩父の 100Kmに対して、四国は1000kmと10倍の規模となる。 まずは、秩父をクリアーしてから考えよう



秩父札所  粥仁田(かゆにた)峠を越えて


直接一番から廻るのではなく、江戸巡礼古道のガイドに沿って、 粥仁田峠から入る事にした。

埼玉在住の時は、外秩父は良く出かけていき、我が家の庭と言える存在で、 大霧山(767m)北面にあるこの峠も記憶に残っている。

朝早く起き、水海道 5:45 --> 守谷 6:00 --> 南流山 6:19 --> 北朝霞 6:56 --> 朝霞台 7:19 --> 小川町 8:24--> 橋場バス停 8:50 で下車し、約3時間の乗り物から解放され、舗装された林道を歩き始める。

江戸から秩父盆地に入る峠道は、川越から粥仁田峠、熊谷から釜伏峠、 飯能から正丸峠、の3つがあった。これらの標高は500~600m であるが、 西側の甲武信ヶ岳を挟んで、信州に通じる北側の十文字峠、それと 甲州へには南側の雁坂峠があり、いずれも、甲武信ヶ岳の 2475m に対して 2000m の峠越えをせねばならない。

それらを含め、これまでに、いくつもの峠道を歩いたが、昔の人が 作った峠道は、息も乱れず、同じ調子で疲れることもなく歩けるのは、 さすが昔の生活道路なのだと、何時も感心する。しかし、その峠道も ほとんどが林道となり、この道も1割程度しか残っていない


正面がバス停「橋場」 ここは埼玉県 秩父郡 東秩父村です


江戸時代の大きな石碑(寛政3年2月 坂本村 講中7人 と書いてある)


林道(県道になってる)から逸れて、静かな昔の峠道を歩く


粥仁田峠(標高560m)が見えてきた(路肩には雪が残っている)



秩父札所  第1番  誦経山 四萬部寺(しまぶじ)

  --- ありがたや 一巻ならぬ 法の花 かすは四萬部の 寺の古へ ---

バス停から一時間で峠に着き、下りなので同じ時間かなと思っていたら、 山を下りてからが長く、県道を一時間歩き正午前に、1番「四萬部寺」に 到着する。右にある売店で、秩父霊場三十四ヶ所「納経帳」(1200円 + 300円) と 秩父霊場経典「御詠歌要集」(300円)を購入する。300円 は納経代で、 般若心経の読経などお参りを済ませた後、納経所で記載する お代です。記載内容は、筆で山名・お寺名・日付・それと三個の朱印ですが、 真ん中の大きな字が何なのか解らない。

一番なので、既に記載された納経帳が店頭に並んでいた。前後してしまったが、 納経した後で、初体験となる般若心経を観音堂の前で読経する。 経典は仮名が振ってあるが、ぎごちなく、慣れないお経を読み終えた。


秩父霊場三十四ヶ所の第一番「四萬部寺」


右側の見上げるような庫裡(くり)


観音堂の右手にある珍しい造りの施食堂と売店


納経帳 右頁は印刷、左頁に記入される






秩父札所  第2番  大棚山 真福寺(しんぷくじ)

  --- めぐりきて 願をかけし 大棚の 誓いもふかき 谷川の水 ---

これから巡礼が始まるのだが、今日は何処まで行けるのか、元気を出して いく事にする。宿泊はしないので、今日の続きは何時になるか分からない。

1番から2番は、上り道となり、売店のおばさんは50分かかると、 話していた。地形図から読み取ると、1番の標高が 210m 2番が 390m と 読めるので、その差は、180m となる。舗装道路の車道と言って、 なめてかかってはいけない。だんだん、きつくなってくる。

秩父盆地は寒く、梅も咲いていない。更に月曜日なので巡礼の姿は 全然見えない。多分、春になっても四国と同じように、1%の人が 歩いているのだろうか。

ここは堂守がいないので、下山して3番前の光明寺で納経する。 優しそうなお年寄りが、達筆な筆遣いで、すらすらと書いて、 朱印を押してくれた。


山の上にある第2番真福寺(無人なので納経は麓の光明寺)


現在の巡礼道標(石碑があれば併記されている)





秩父札所  第3番  岩本山 常泉寺(じょうせんじ)

  --- 補陀落は 岩本寺と 拝むべし 峰の松風 ひびく滝つけ ---

光明寺からは街中の道が続く。県道を横断して横瀬川の橋を渡り左折すると、 すぐに、案内が見えてくる。案内にそって右手に足を進めると、丘を背にして 畑の向こうに本堂が見えてきた。正面にある浄財箱の隣には、寺宝の子持ち石が 置いてある。

本堂の左手の小さな丘の上に観音堂が有り、お経をあげる。 納経を済ませ、道標に沿って歩くと、やがて横瀬川に掛かる。 歩道専用の「ふれあい橋」が右に見えてきた。県道を横断すると 四番は近い。


丘を背にして畑の向こうに本堂が見えてきた


本堂の左手に見える観音堂





秩父札所  第4番  高谷山 金昌寺(きんしょうじ)

  --- あらたかに 詣りて拝む 観世音 二世安楽と 誰も祈らん ---

金昌寺は、大きな仁王門と石仏で有名です。キヤノン電子の脇をすり 抜けると両側に大きなわらじが立て懸けてある仁王門が目に入る。

その山門をくぐると直ぐに石段があり両側に石仏が並ぶ。観音堂まで 石仏群が続き、それらは県の文化財に指定されて1300体もあるそうだ。 観音堂の右には、子育て観音が安置されている。若い母親がほしげもなく 乳房を出して赤ん坊に乳をふくませているのだが、江戸時代作とは思えない。


大きなわらじが吊るされてる仁王門


酒樽の上に座り盃を頭上に「酒飲み地蔵」


観音堂まで石仏群が続く


子育て観音




秩父札所  第5番  小川山 語歌堂(ごかのどう)

  --- 父母の 恵みも深き 語歌の堂 大慈大悲の 誓い頼もし ---

石仏の4番金昌寺を後にして、一本道を武甲山に向かって15分ほど歩くと 5番の看板とそれに隠れた山門が見える。この観音堂も堂守がいないので、 やや離れた向かい側の長興寺で納経をすませる。

今日は、もしかしたら、9番まで行けるかと思っていたが、此処で午後4時を まわってしまった。次の6番は山の麓に向かうので、ここから近い西武線の 横瀬駅から帰途する事にした。駅に着いたら、ちょうど池袋行きの特急が来て、 切符を買うまで待っていてくれた

次回は6番からとなり、出発はここの横瀬駅となる




道路の直ぐ側に山門がある 遠くに見える山は武甲山


聖徳太子の縁起の伝わる語歌の堂





秩父巡礼 1日目 まとめ

今回の歩数 = 40,438  距離 = 25.3km

歩数と距離(km)の記録
場所 自宅 橋場停 粥仁田峠 1番 2番 3番 4番 5番 横瀬駅 帰宅
歩数 0 2,488 8,357 18,077 22,167 27,720 29,541 32,163 37,000 40,438
区間 0 1.6 3.7 6.1 2.6 3.5 1.1 1.6 3.0 2.2
累積 0 1.6 5.2 11.3 13.9 17.4 18.5 20.2 23.2 25.4
距離算出は、歩幅 ≒ 0.66m、歩数計誤差 = +5%、から校正する


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