さんの 秩父巡礼紀行 巡礼1
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秩父巡礼 3回目   西武秩父駅 → 17,18,19,20,21,22,23,24,25 番札所 → 影森駅  2015.05.20(水)
3回日目の巡礼になります。しかし、ものぐさをしているので、 年に一度の札所巡りでは、3年目の3日目と言わねばなりません

いつもの通り、5時半の電車に乗り池袋に向かい、時間を短縮するため、 特急に乗り込みました。以前はレッドアローと言っていたが、今は 『ちちぶ3号』などと、時刻表に書いてある。時間短縮の代償として、 特急券+座席指定の640円を払ったが、車内は空席ばかりだ。西武秩父駅で 下車して、お花畑駅を徒歩で通過し、秩父神社にお参りして、 17番に向かいます。

秩父神社の例祭(毎年12月3日に行われる)は、「秩父夜祭」として国の 重要無形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本 三大曳山祭のひとつに数えられています。この夜祭は、武甲山の男神と 秩父神社の女神との年に一度の逢瀬の物語として語られる、中世の ロマンであるが今の武甲山を見ていると、ロマンが浮かんでこないのは 残念である




秩父神社入口


秩父神社です




秩父札所  第17番  実正山 定林寺(じょうりんじ)

 --- あらましを 思い定めし 林寺 鐘ききあえ 夢ぞさめける ---


秩父神社を後に、石畳の道を秩父駅(秩父鉄道)方面へと北上する。 駅前まで来たら、前回、道に迷って16番まで来てしまった手前の信号を右に、 市立病院方面に進む途中、江戸古道の表示のある、畦道を横ぎって行くと、 狭い路地の向こうに17番が見えてきた

1年ぶりの般若心経を唱え、本堂の裏手にある納経所に納経帳と300円を 添えて、御朱印をいただく。観音堂の右手前の鐘楼の鐘は、周囲全面に 西国・坂東・秩父百観音の本尊を浮き彫りにして、それら100個の四角の 中には、本尊の周囲を良く見ると、御詠歌が刻まれている。鋳造は、 宝暦8年(1785年)で、工芸品として県の指定を受けている


静かな町中の、このような畦道を通り抜けて行くと


狭い路地の向こうに17番が見えてきた


堂前のこじんまりとした鐘楼


鐘の周囲全面に西国・坂東・秩父百観音の本尊と御詠歌が刻まれている




秩父札所  第18番  白道山 神門寺(ごうどじ)


 --- ただたのめ 六則ともに 大悲をば 神門に立ちて たすけたまえる ---


江戸巡礼古道の標識を辿り、町中の細い路地を通り、国道299号に出て、北に向かって行く。相生町交差点を過ぎ、直ぐ右に曲がると、自転車と徒歩しか通れない秩父鉄道の 小さな踏切を渡る。しばらく、道なりに進むと、今度は国道140号に出る。 左に曲がり、又も北上して行く。右手に、18番の駐車場を示すの大きな看板が 見えてきた。駐車場の手前の細い道を右に曲がると、民家のような塀の中が 境内になっていた。百坪余りの境内は息苦しく、駐車場の向こうは国道なので 車の騒音が耳に入り、静けさとは無縁である。お堂は、三間四面で周囲に 円勾欄をめぐらし、唐破風の向拝を配した風格のある堂である

納経所には二人のおばさんがいて、一人は筆を、もう一人は朱印を持ち、大声で 話しながら二人がかりで、納経帳を返してくれた



相生町交差点を渡り右に曲がると小さな踏切がある


民家が堂の近くに押し寄せている(幟の中が境内)


唐破風の向拝を配した風格のある堂


堂の左手にある納経所と喫茶室




秩父札所  第19番  火淵山 龍石寺(りゅうせきじ)


 --- あめつちを 動かすほどの 龍石寺 参る人には 利正あるべし ---


次の19番は、国道、秩父鉄道を渡り、元の西側の道に引返し、大野原駅を目指す。 途中の街道筋に、大きな民家が見えた。秩父銘仙が盛んだったとき、二階では お蚕様を飼っていたのだろうか。

50年も前だが、埼玉の会社に就職したとき、新入生の研修会で秩父音頭の歌と 踊りを教えてもらった。その中に、蚕が登場する

    秋蚕(あきご)仕舞うて麦蒔き終えて
    秋蚕(あきご)仕舞うて麦蒔き終えて
    (コラショ)
    秩父ナーアーア アーエ
    秩父夜祭り アレサ待つばかり

19番 龍石寺は、起伏のある大きな岩の上に建っている。このお堂は三間四面 なのだが、中の間15尺、左右9尺という変形の三間四面なので、通常の 18尺に対し33尺もあり、18番と比較すると、すごく大きく感じる



民家だ! 秩父銘仙のお蚕を2階で飼っていたのだろうか


坂東観音堂旧跡の前の道を下って行く


変形の三間四面で、(中の間15尺、左右9尺)すごく大きい


起伏のある大きな岩の上に建っている




秩父札所  第20番  法王山 岩之上堂(いわのうえどう)


 --- 苔むしろ 敷きてもとまれ 岩のうえ 玉の臺も 朽ちはてる身を ---


19番を出てすぐ右に折れ、巡礼道を行くと、秩父橋に出る。この橋は、 歩行専用の二代目の3連アーチ橋で昭和6年の製造だ。すぐ隣に三代目 秩父橋(昭和60年竣工)があり国道299号となって自動車の往来が激しい。

橋を渡り、国道を横ぎったが、巡礼道はがけ崩れの危険があるので、歩行禁止 となっている。案内に沿って、国道から回り道をして、道路から石段を下り 20番に入る。5名の巡礼姿が、御朱印を頼んで待っていた。一人は、 18・19番とお会いした髭の老人で、愛知県の三河ナンバー車で、 全国を回っているらしい。私の顔を見て、「歩きなのに随分早いですね」 などと嬉しいことを言ってくれる。あとの4名は、女性群で、こちらは 江戸古道を歩き、1番から始めて、今回で4日目とのこと。23番の音楽寺まで、 抜きつ抜かれつの、元気なおばさんたちだ



歩行専用の二代目は3連のアーチ橋で昭和6年の製造


三代目 秩父橋(昭和60年竣工)と遠く武甲山を望む


岩之上堂の屋根越しに二子山を見る


お堂は向拝から直接土間に入れる




秩父札所  第21番  要光山 観音寺(かんのんじ)


 --- あずさ弓 射る矢の堂に 詣できて 願いし法に あたる嬉しさ ---


県道に出て右に行くと、すぐに21番がある。木立も森も生垣もない 県道沿いにあり、民家に間違えそうだ。さまざまの縁起話があり、 我が水海道地方、平安時代中期の、平将門が先勝祈願のため矢を 納めたので矢納堂とも言われている

ここから先の古道は、明治古道と江戸古道の2つのコースがある。 江戸古道は、右手の長尾根道を行き、23番に出るが、途中の22番は 明治後期に現在の場所に移ったため、素通りしてしまう。明治古道は、 そのまま県道を南に行けば22番に到達し、次の23番に至る。 女性たちは、明治古道を行くようだ。私も長尾根から22番に戻るのは 難儀なので同じにする



矢之堂とも言われ、平将門が先勝祈願のため矢を納めた


右隣りには、八幡様が祭られていた




秩父札所  第22番  華台山 童子堂(どうしどう)


 --- 極楽を ここで見つけて わらわ堂 後の世までも たのもしきかな ---


県道を南に進めると、左側に、「二十二番入口」と書かれた墓石に乗ったような お地蔵さまがお迎えしてくれる。そこを左に曲がり、しばらく行くと、茅葺の 仁王門が現れる。門の両袖に仁王様が安置されているが、子供にゆかりのことから、 子供仕立てにしたものか。思わず吹き出したくなるような顔である

ここで、昼食とする。秩父駅前のコンビニで仕入れた、カップ麺、水、 おにぎりを取り出し水を入れた鍋をコンロに乗せ、お湯を沸かしカップ麺と おにぎりを食べる。何時もの山登りなら、ここで般若湯を飲んで一息入れる のだが、巡礼なので謹慎している。食べ終わり、再びリュックを背負うと、 幾分、軽くなったようだ



「二十二番入口」 とお地蔵さまがお出迎え


広々とした向こうに茅葺の仁王門が現れる


仁王門の左右には童顔の仁王様がひょうきんなお顔


この境内で昼食を取る




秩父札所  第23番  松風山 音楽寺(おんがくじ)


 --- おんがくの みこえなりなけり おが坂の しらべにかよう 峰のまつ風 ---


江戸古道の案内は、きつい登り坂の中山道を行き、13地蔵の手前に出るが、 住職は、そこは私有地なので、その先の道を、車道を横ぎりながら、行って ほしいとの助言があった。巡礼道の突き当りは納経所で、納経を済ませ左奥に 上って行くと、そこに音楽堂と鐘楼がある更に右の方から裏を上って行くと 十三地蔵尊があった。

この辺は、秩父ミューズパークの端っこに当たり、秩父市内・武甲山・三峰山 などの眺望が良い。しかし、現在の武甲山を見ていると、元の姿を見たくなり、 ネットで探してみた。文晁にしても、昭和20年代にしても、秩父のシンボル となる立派な山容であった

ここで、女性たちはミューズパークに行くので別れたが、話を聞くと我孫子から 来たと言う。その中の一人は、水海道の高校に岩井から通学していたので、 もっと早くに声をかけていれば良かったと、後悔する



巡礼道の正面は納経所です


左手から奥に上って行くと、音楽堂がある


更に右の方から裏を上って行くと十三地蔵尊がある


音楽堂の後ろから秩父市内と現在の武甲山 →次の画と比較して!


江戸の画家 谷文晁 武光山(武甲山)


昭和20年代の武甲山





秩父札所  第24番  光智山 法泉寺(ほうせんじ)


 --- 天てらす 神のははその 色かえて なおもふりぬる 雪の白山 ---


十三地蔵から梅園の駐車場を横ぎり、江戸巡礼古道に入る。誰もいない山道を とぼとぼと上ったり、下ったりして何度か車道を歩く。途中、古道に入る標識を 見失い、佐久良橋の目の前に出て、県道を歩く。

入り口を右に折れると、116段の長い石段が待っていた。4月18日の 縁日には、集落から男女が集まり、境内で廻り念仏が行なわれる。 日が強くなり、水がなくなったので、境内の蛇口からペットボトルに 補充する




江戸巡礼古道です 誰もいない山道をとぼとぼと上ったり下ったり


法泉寺の境内では縁日に廻り念仏が行なわれる


116段の石の階(きざはし)を登らねばならない




秩父札所  第25番  岩谷山 久昌寺(きゅうしょうじ)


 --- みなかみは いづくなるらん 岩谷堂 旭も久那く 夕日かがやく ---


県道を南に進めれば良いのだが、江戸古道は山の斜面に沿って、今日の一番の 長丁場をがんばる。武甲山を眺めながら歩いて行くが、北側から正面を見てた のが、西側から横顏を見るように変化してきた。入り口を曲がると、 最初に仁王門、次に観音堂、弁天池、弁財天、そして久昌寺と続いている。 今回の最後の納経を済ませ、帰途につく

浦山口駅が近いが、それでは次回の26番が繋がらないので、 影森駅を目指し、次のお花畑駅で下車し西武秩父駅から帰ること にする。歳のせいか、暑かったせいか、脚を鍛えない一年ぶりのせいか、 日が伸びて歩行時間が長いせいかとにかく、疲れて腹がすいたので、 ビールで乾杯して蕎麦を食べてから、電車に乗った




大野原駅から影森駅まで歩いてきた 武甲山が迫って来る


仁王門があり観音堂の裏に弁天池その奥に久昌寺


弁天池から久昌寺(右)と弁財天(左)を見る


久昌寺の正面です





秩父巡礼 3回目   ま と め

今回の歩数 = 40,675  距離 = 25.5km

歩数・時間・距離(km)
場所 自宅 秩父駅 17番 18番 19番 20番 21番 22番 23番 24番 25番 影森駅 帰宅
歩数 0 2,055 6,194 9,048 11,020 12,895 14,118 16,402 18,619 24,410 31,868 36,829 40,675
時間 5:36 8:12 9:00 9:50 10:20 10:45 11:15 11:50 13:00 14:20 16:05 17:10 21:30
区間 0 1.29 2.60 1.79 1.24 1.18 0.77 1.43 1.39 3.63 4.68 3.11 2.41
累積 49.6 50.9 53.5 55.3 56.5 57.7 58.5 59.9 61.3 64.9 69.6 72.7 75.1
距離算出は、歩幅 ≒ 0.66m、歩数計誤差 = +5%、から校正する
 (累積距離は1回目からの累積を表示)


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