さんの 水海道 諏訪神社 遷座100年 記念誌 発行:常総市 水海道諏訪町 町内会
表紙 挨拶 目次 概要 見所 変遷 水海道 祇園祭 書物 歴代 記念事業 略歴 奥付


町内会長 岩本健太郎の御挨拶

記念誌の発行にあたって

 水海道はかって鬼怒の恵沢によって栄える常総地域の中心的商業都市でありました。 近年では聴く機会が少なくなってしまいましたが、水海道音頭に「町の真ん中お諏訪様 ・・」と唄われた市街地の中心に在る諏訪神社のお話です。
 現在、町内会が運営する諏訪神社は明治時代まではケヤキの老大木の下に小社殿が在 るだけの寂しい神社でありましたが、大正六年改めて信州諏訪大社から御神霊をお迎え し御遷宮の大祭典を執行したとのことであります。
 このことを知ったのはかなり以前で、拝殿の東側に諏訪町商店会の案内看板が設置さ れ、その裏側にこのお話が書いてありました。
昨年、あることがきっかけで大正六年から数えて百周年になることを知り、何人かの役 員に話したところ皆一様に驚き記念事業をしようと話がまとまりました。「記念講演会 」「記念誌発行」「遷座再現神輿パレード」そして「本殿、玉垣の改修」等でした。 特に記念誌の資料収集の過程で様々な事実が判明し、この神社の特異な歴史が徐々に明 らかになってまいりました。特筆すべきは大正時代から昭和二十九年までは諏訪町だけ でなく、水海道町全体から選ばれた総代と委員によって運営されていたことであります 。詳細は本書をご精読いただければ幸いです。
 本記念誌発行に際しては多くの資料を保存していただいた秋山家と、その資料を快く 閲覧させていただいた秋山誠衛氏に厚く御礼申し上げます。
また、膨大な資料を整理し編集の大役を担っていただいた小故島総務部長に謝意を表し ます。
平成三十年四月 諏訪町町内会長 岩本健太郎



神社宮司 所雅彦の御挨拶

 この度は水海道諏訪神社御遷座百周年、誠におめでとうございます。
金村別雷神社の宮司の所と申します。諏訪神社の兼務宮司を拝命致して おります。三代前の岡田足秀宮司の代に信州諏訪大社より奉斎して百年 という節目を迎え、改めて水海道諏訪町の歴史を再考させられた次第です。
 糀屋さんなどは江戸時代の怪談「累ヶ淵」にも登場する老舗旅館ですし、 幕末には土方歳三率いる新選組の旧幕府軍が宿営した町でもあります。 今のような市町村合併による田園地帯を挟む町ではなく、宿場町として集中 した繁華街でした。今より遥かに神仏の信仰が深い時代とは言え、一時荒廃 した諏訪神社を氏子一丸となって町の鎮守として再興させたのは、誠に見事 という他ありません。これもひとえに諏訪町の氏子一同の敬神崇祖の念が篤 かったことの現れでしょう。
 当時の社掌(宮司)岡田足秀は私の祖母の父親であり、金村別雷神社の本 務宮司でした。達筆な方で、諏訪神社内にも書が残されていると思います。 当時の神主というと医者や議員同様、人力車を利用していた様ですが、 よく水海道には通っていたと聞かされておりました。私なども子供の頃は、 水海道というと今でいう東京の様な感覚を持っていたものです。
 しかし、時代の流れは行く川の流れと申しますが、嘗て大変な賑わいを誇 った金村別雷神社も現在は県道だった参道入り口の道路も、堤防の嵩上げに 伴い、大型バスが入れない様になったり、門前町の移転とともに参拝者の減 少といった憂き目にあっており、現在新しい参拝者を呼び込む為に様々な取 り組みをしておる所です
 水海道の様相もかつての街並みとだいぶ様変わりしましたが、 諏訪町は元より、水海道全体で復興の機運が高まっております。 この度の御遷座百周年を機に、この水海道の益々のご繁栄を御祈念致しまし てご挨拶とさせて戴きます。
この度は誠におめでとうございました。

平成三十年四月吉日 諏訪神社宮司 所雅彦


ホームページ開催について

 水海道 諏訪神社 遷座100年祭記念誌の発行に先立ちホームページを立 ち上げました。
 冊子となる記念誌は縦書表示ですが、こちらはHTMLで作ったため横書表示 となっています。若干、表示に相違がありますがご容赦願います。
 なお、冊子は町内会の発行となっていて、予算も限られているので内容は モノクローム(白黒)にて印刷されていますが、こちらはオールカラーとな っています。より、親しみやすいかと思い、お楽しみください。

2018.04.10 諏訪町町内会 会計 秋山節夫