和暦 | 西暦 | 出 来 事 |
鎌倉時代 | 1185-1333 | 古代から鬼怒川の流れは大きく変遷する。
また頃までには、現八幡神社から諏訪神社にかけて水に浸らぬ
比較的の高地「砂州」が出現したといわれる |
戦国時代 | 1467-1568 | 豪族屋敷型村落の発生
戦国時代末期。上宿(台町=元町)附近に田村弾正が居館を構え、
その居館を中心に集落が生まれる。
近世になってから統合発展し、 所謂 「豪族屋敷型村落」ができる。 |
天文13年 | 1543 | 小倉(吹上)隼人、作州津山より水海道に土着す |
天文14年 | 1544 | 富村三河、信州豊見城から水海道に土着す |
永禄9年 | 1566 | 峯下天神(水海道天満宮)の建立(願主 松信家) |
寛永6年 | 1629 | 鬼怒川と小貝川の分離し、鬼怒川の水を利根川に落とす
鬼怒川は水海道村の細代附近から東流し杉下附近で小貝川に合流していたが分離。
鬼怒川の水を大木板戸井台地約4kmを開削し利根川に直接落と した。
両川の分離は伊奈谷原の美田化、鬼怒川利根川の直結は江戸との舟運利便性を
格段に向上させ、水海道の産業経済を大きく発展させた。
※開削年代については諸説あり |
寛永7年 | 1630 | 小貝川は、戸田井と羽根野を開削し、押付にて利根川に合流させた。 |
寛文6年 | 1666 | 水海道村上宿附近の鬼怒川川欠(崩壊)のため、畑の内(宝洞宿=宝町)へ屋敷替え |
延宝5年 | 1677 | 水海道八幡神社の建立(願主 秋場家) |
元禄時代 | 1688-1703 | 現諏訪神社位置に、五木田弥次衛門の氏神として諏訪神社が存在
横町(栄町)諏訪山に東國戦記に言う諏訪明神あり(ただし記録はない)
現諏訪神社位置に二つの諏訪神社が合祀される |
元禄12年 | 1700 | 水海道村の検地
この検地目録により、別紙「元禄時代水海道村地図」を富村義夫氏が作成 |
元禄13年 | 1701 | 八間堀新堀の開通(新井木石洗から橋本門樋鬼怒川まで) |
正徳4年 | 1714 | 水海道村天領から旗本三人の分地となる(日下・渡辺・長田) |
安政5年 | 1858 | 諏訪神社殿が建立される。拝殿部に後藤縫之輔が彫刻を施す
「下総埴生(はにゅう)郡不動成田、彫物師後藤縫之輔、藤原正重、
安政五年六月吉日」が刻印されている |
明治2年 | 1869 | 二月 水海道地方若森懸下に入る |
明治4年 | 1871 | 四月 若森懸は印旛茨城の二間懸に分割され、水海道村付近印旛懸管下に入る七月 廃藩置懸と同時に水海道村は水海道駅と改まる |
明治5年 | 1872 | 四月 庄屋名主年寄等の名を廃し戸長、副戸長を置く全国に郵便局を置く。水海道郵便局建つ寺子屋廃止。水海道に絹水(成就院の地)、文海(橋本宝蔵院の地)のニ学校生る |
明治6年 | 1873 | 七月 水海道附近は千葉懸管下に入る |
明治8年 | 1875 | 大山敬神会石灯篭を奉納する(伊勢原市大山阿夫利神社)絹水文海二校を併合し、成就院を改修して水海道学校を起す、五月 水海道地方(利根川以北の下総国貫の地)茨城懸の所轄に属す |
明治10年 | 1877 | 四月 水海道駅に下妻警察署水海道分署おかる(場所:水海道駅五本榎口) |
明治14年 | 1881 | 水海道小学校の西洋風三階建校舎成る(成就院の地) |
明治22年 | 1889 | 市町村制施行により水海道一円の地域を水海道町と改称す |
明治23年 | 1890 | 水海道町豊岡村間の鬼怒川上に架橋成り豊水橋(とよみつばし)と命名 |
明治25年 | 1892 | 水海道村外六ケ村組合校と小学校建つ |
明治29年 | 1896 | 結城岡田豊田三郡を合して結城郡として宗道に郡役所を置かる、水海道銀行建つ |
明治30年 | 1897 | 製糸工場絹江社絹河畔台町高地に建つ |
明治31年 | 1898 | 共同精米会社宝洞宿(宝町)に建つ |
明治33年 | 1900 | 懸立下妻中学校分校水海道町に建つ、水海道町役場火災、宝洞宿から横町に移る |
明治40年 | 1907 | 五本榎の青年有志で「誠志會」をつくる 水海道町役場横町台地に建つ |
大正元年 | 1912 | 水海道電灯会社宝洞宿で営業開始 |
大正2年 | 1913 | 常総鉄道(現関東鉄道)施敷設 |
大正3年 | 1914 | 諏訪神社境内に忠魂碑を建立 |
大正6年 | 1917 | 諏訪神社社殿の修繕並びに社務所の新築(町の富商等から多額の寄付)、画家尾竹竹坡が諏訪神社本殿天井画「虎の絵」を奉納、画家尾竹国観が諏訪神社拝殿天井画「龍の絵」を奉納、諏訪神社に「大町桂月の筆による額装の書」を秋山藤左衛門氏が寄贈、十一月、五本榎誠志會が石の鳥居一基(現在の東側鳥居)を献ず十二月一日、信州諏訪大社より新神霊を奉戴し、御遷宮の大祭典を挙行する。
式典に併せて、御諏訪様の謂れや御利益、神前結婚の御社利用等の紹介紙
「御諏訪様のおはなし」を発行配布する。 ※別紙参照 |
大正12年 | 1923 | 諏訪神社社殿屋根葺材銅板六百九十七斤(約420kg)を購入する |
大正13年 | 1924 | 諏訪神社社殿屋根を杉木羽鱗葺から銅板に葺替る。併せて一部の修繕を施す |
昭和6年 | 1931 | 諏訪神社境内忠魂碑の修繕 |
昭和10年 | 1935 | 富村登著「水海道郷土史談」前編刊行 |
昭和12年 | 1937 | 真瀬村、丸三繊維工場真瀬村電力確保のため水海道に進出す |
昭和18年 | 1943 | 諏訪神社敷地として借地していた土地(約七十七坪)を山中彦兵衛氏から購入する。
併せて本殿、拝殿及び側拝殿を購入地への移転工事を行う。
(水海道町富商等から多額の寄付) |
昭和19年 | 1944 | 諏訪神社境内敷地(現諏訪会館)を秋山藤左衛門氏より購入する。 |
昭和20年 | 1945 | 諏訪神社御朱印を水海道八幡神社宮司から諏訪神社総代が預かる。 |
昭和27年 | 1952 | 十月十四日、水海道諏訪神社の宗教法人設立 |
昭和29年 | 1954 | 七月、結城郡の一部を編入・市制施行し水海道市となる初代水海道市長に須田誠市氏就任(1954-1959)市施行及び町名変更(五本榎を諏訪町)に併せ、諏訪神社が一部委員の所管から全町の氏神として町内に移管を受ける。別紙「福神御諏訪様と諏訪町の関係」参照。富村登著「水海道郷土史談」後編刊行 |
昭和34年 | 1959 | 市役所新庁舎(鉄筋コンクリート造三階建)完成 |
昭和38年 | 1963 | 水海道市長に落合庄次氏就任(1963-1987) |
昭和54年 | 1979 | 諏訪町在住画家秋山桑人氏「水海道大正っこ風物詩」刊行、
諏訪神社や諏訪町にまつわる作品が数点掲載される。 |
昭和58年 | 1983 | 水海道市史(上巻)発刊 |
昭和59年 | 1984 | 水海道市史(下巻)発刊 |
平成7年 | 1995 | 水海道市長に遠藤利氏就任(1995-2005) |
平成10年 | 1998 | 諏訪会館新築する |
平成13年 | 2001 | 諏訪神社本殿の一部修繕 |
平成14年 | 2002 | 諏訪神社境内の大欅が水海道市指定天然物に認定される |
平成16年 | 2004 | 五月、信濃國一之宮諏訪大社御神木の寄贈を受ける |
平成17年 | 2005 | 諏訪神社社務所を新築す(町内会会員等から多額の寄付を受ける) |
平成18年 | 2006 | 一月、結城郡石下町を編入し常総市と改称、初代常総市長に遠藤利氏就任(2006-2007) |
平成27年 | 2015 | 諏訪神社拝殿浜縁の改修、関東・東北豪雨で鬼怒川が決壊し大被害を受ける |
平成28年 | 2016 | 関東・東北豪雨で被害を受けた諏訪会館の修繕完了(費用:9,527,445円) |
平成29年 | 2017 | 水海道諏訪神社遷座100周年記念事業の開催 |